バトンのようなもの
あるところでバトンのようなものがあり
あまりやる方ではないのですが
あえて言いたいことを書くのに適してるかと思ったので。
ーー最近思う『着物』ーー
昔に比べて知名度もあがって仮装的な視線を受けにくくなったように感じる。
私が最初着た時はここまでのブームではなく
正直歩くのがけっこう恥ずかしいと思う時もあった。
男性としてのファッションとしては確立されるにはほど遠かったころである。
あのころに比べれば全国ということでは買いやすくなった事実はあるはず。
前にも書いたが間口の狭さは
服飾業界においてこれほど閉鎖的な業界って無いのではという風潮は相変わらずだが
その改善が結局現在もある呉服屋ではなく
ネットショッピングだったっていうのは皮肉であるだろう。
ただ、やはりこれは波でしかなく、過ぎればまた平坦なものになるのは確実なわけで
販売だけじゃなく製法に関しても改善の必要に迫られるべきだと思ってはいる。
ただ、販売側ばかりを責め立てるではなく
そこにいる消費者側にも原因はあるはずであり
あえて奇抜な装いも多少の容認を必要とするのではとは思うところもある。
もろん行き過ぎたものは私個人も古風なところがあるのは事実であり
気持ちのよいものではない。
一例をあげるならば女性の柄ものの季節の規制観念などは
(華の柄などで咲く時期の半月前くらいに止め花盛りには着るものではない)
むしろ今の風土としては多少の差異さえ感じる。
男性の方にはあまりそういったものはなく
比較的自由に着られるところがあるが
女性にはこれ以外にも様々な制約とまではいかずとも
約束事が多いようにも思える。
消費者の意識を販売業者が考察し、製造業者に伝えた時
一本のラインは強い綱となりのばすことができるはずであると信じたいのだが。
ーーこの『着物』には感動!!!ーー
やはり麻か。
男性には柄ものがないから結局のところ素材になるわけで
その中で麻の身軽さと足裁きの良さは
正直に感嘆ものであった。
夏の木綿もいいが
あの着心地と簡単な後処理はくせになる。
着物においてとかく難しいとされるのが洗濯などの処理であり
それを容易と思わせる麻は
アンサンブルなどが多い販売業者の戦略の1つとして
取り入れていいはずなのだが
残念ながら今年もそういった流れを見いだすことはできなかった。
ーー直感的『着物』ーー
日本人だからこそ着られるもの
気候と季節を表現するのにこれほど適したものは無いはずである。
キリリとしたところがありつつ
どこかに濡れたような感じがあるのは古来からあるところの風土であろう。
ーー好きな『着物』ーー
先ほど麻に関しては書いたから
持ち物というと正絹の藍のアンサンブル
去年買ったもので質の良さが同じ正絹でも
違いがあるものだという実感を感じた着物である。
色としても藍とか瑠璃が好きなのでこれは私の目指す藍に限りなく近く
夏であればもう少し淡いものであるが
冬ものであればあれくらいのが丁度よい色となってる。
帯は明るめの方が好み。
汚れが目立つが全体的に濃いめの多い男性着物において
やはり引き立つ色を探すと自ずと明るめを探すようになってしまう。
足袋は紺キャラコ。
雪駄の方を好んで履く。
1アイテムは帽子
ーーこんな『着物』は嫌だ!ーー
あまりないがやはりポリの質感はなかなかなじめずにいる。
長襦袢に1つあるが足裁きの悪さが印象に残ってしまい
特に静電気体質の私としてはあれは辛いところである。
あと着丈が短いのはどうしても個人の主義として気になってしまう。
できればくるぶしが隠れる方が好みであり3尺七寸五部というところがやはりいいラインではある。
これとは少し話しが逸れるが
古着市でまだ着られるものを小物に裁断するために
買われていったのには見てて悲しかった。
大丸でここが使えるとかいう話で
けどまだ傍目からは全然着られそうであるのに。
再利用が基本ではあるが着物として生きられるものが
それを全うできずに半ばで変わっていく様はやはり残念と言わざるを得ない。
ーーこの世に『着物』がなかったら・・・ ーー
着物自体ではないがこの趣味によって知り合い増えたようにも思う。
それはどんな趣味でも同じだが個々の趣味を個々で楽しむのは
いつでもできるが、そこから同一の意識を持ったものが
繋がるということにより意味を持つはずであり
その点において私にとっての着物というものは
現在において私の意識の中では上位に位置する優先事項であると言えよう。
着物ということに関して言えば日本という国の民族衣装であり
これが日本であるという代表的な世界唯一のものであり
それが無くなるというのは悲しいことであり
そういったものが無くなる時は、
この国が国として成り立たなくなる時なのではないだろうか?
もちろん有形のものであるのだから
いつかは無くなるものではある。
しかし、そうならないために私ができることが少しでもあるのであれば
それはやはり手伝いたいと思うものだ。
あまりやる方ではないのですが
あえて言いたいことを書くのに適してるかと思ったので。
ーー最近思う『着物』ーー
昔に比べて知名度もあがって仮装的な視線を受けにくくなったように感じる。
私が最初着た時はここまでのブームではなく
正直歩くのがけっこう恥ずかしいと思う時もあった。
男性としてのファッションとしては確立されるにはほど遠かったころである。
あのころに比べれば全国ということでは買いやすくなった事実はあるはず。
前にも書いたが間口の狭さは
服飾業界においてこれほど閉鎖的な業界って無いのではという風潮は相変わらずだが
その改善が結局現在もある呉服屋ではなく
ネットショッピングだったっていうのは皮肉であるだろう。
ただ、やはりこれは波でしかなく、過ぎればまた平坦なものになるのは確実なわけで
販売だけじゃなく製法に関しても改善の必要に迫られるべきだと思ってはいる。
ただ、販売側ばかりを責め立てるではなく
そこにいる消費者側にも原因はあるはずであり
あえて奇抜な装いも多少の容認を必要とするのではとは思うところもある。
もろん行き過ぎたものは私個人も古風なところがあるのは事実であり
気持ちのよいものではない。
一例をあげるならば女性の柄ものの季節の規制観念などは
(華の柄などで咲く時期の半月前くらいに止め花盛りには着るものではない)
むしろ今の風土としては多少の差異さえ感じる。
男性の方にはあまりそういったものはなく
比較的自由に着られるところがあるが
女性にはこれ以外にも様々な制約とまではいかずとも
約束事が多いようにも思える。
消費者の意識を販売業者が考察し、製造業者に伝えた時
一本のラインは強い綱となりのばすことができるはずであると信じたいのだが。
ーーこの『着物』には感動!!!ーー
やはり麻か。
男性には柄ものがないから結局のところ素材になるわけで
その中で麻の身軽さと足裁きの良さは
正直に感嘆ものであった。
夏の木綿もいいが
あの着心地と簡単な後処理はくせになる。
着物においてとかく難しいとされるのが洗濯などの処理であり
それを容易と思わせる麻は
アンサンブルなどが多い販売業者の戦略の1つとして
取り入れていいはずなのだが
残念ながら今年もそういった流れを見いだすことはできなかった。
ーー直感的『着物』ーー
日本人だからこそ着られるもの
気候と季節を表現するのにこれほど適したものは無いはずである。
キリリとしたところがありつつ
どこかに濡れたような感じがあるのは古来からあるところの風土であろう。
ーー好きな『着物』ーー
先ほど麻に関しては書いたから
持ち物というと正絹の藍のアンサンブル
去年買ったもので質の良さが同じ正絹でも
違いがあるものだという実感を感じた着物である。
色としても藍とか瑠璃が好きなのでこれは私の目指す藍に限りなく近く
夏であればもう少し淡いものであるが
冬ものであればあれくらいのが丁度よい色となってる。
帯は明るめの方が好み。
汚れが目立つが全体的に濃いめの多い男性着物において
やはり引き立つ色を探すと自ずと明るめを探すようになってしまう。
足袋は紺キャラコ。
雪駄の方を好んで履く。
1アイテムは帽子
ーーこんな『着物』は嫌だ!ーー
あまりないがやはりポリの質感はなかなかなじめずにいる。
長襦袢に1つあるが足裁きの悪さが印象に残ってしまい
特に静電気体質の私としてはあれは辛いところである。
あと着丈が短いのはどうしても個人の主義として気になってしまう。
できればくるぶしが隠れる方が好みであり3尺七寸五部というところがやはりいいラインではある。
これとは少し話しが逸れるが
古着市でまだ着られるものを小物に裁断するために
買われていったのには見てて悲しかった。
大丸でここが使えるとかいう話で
けどまだ傍目からは全然着られそうであるのに。
再利用が基本ではあるが着物として生きられるものが
それを全うできずに半ばで変わっていく様はやはり残念と言わざるを得ない。
ーーこの世に『着物』がなかったら・・・ ーー
着物自体ではないがこの趣味によって知り合い増えたようにも思う。
それはどんな趣味でも同じだが個々の趣味を個々で楽しむのは
いつでもできるが、そこから同一の意識を持ったものが
繋がるということにより意味を持つはずであり
その点において私にとっての着物というものは
現在において私の意識の中では上位に位置する優先事項であると言えよう。
着物ということに関して言えば日本という国の民族衣装であり
これが日本であるという代表的な世界唯一のものであり
それが無くなるというのは悲しいことであり
そういったものが無くなる時は、
この国が国として成り立たなくなる時なのではないだろうか?
もちろん有形のものであるのだから
いつかは無くなるものではある。
しかし、そうならないために私ができることが少しでもあるのであれば
それはやはり手伝いたいと思うものだ。
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