珠礼堂

行動力上昇手助け日記

十二国記に見る謝罪ということ。

このごろ、私は自分が憤ることが多いことを感じます。
世の中が少し息苦しくて
生きていることが少し辛いと思うことがあります。
その中の一つが謝罪です。
世間にはかつて無いほど謝罪する状況にあふれています。
ですが、その謝罪はほんとに必要なものなのでしょうか?
謝罪という行為が今の世の中に多すぎるのではいでしょうか

そう思う時、思い出すアニメがあります。
十二国記
第39話 風の万里 黎明の空 終章

王となった陽子が国のあり方を変えるため
臣下に伏礼の廃止を宣言します。
それに対して聖獣・景麒(けいき)が思いとどまるよう進言します。
それに対して陽子はいいます。


相手の顔が見えないことがいやだ。
人から後頭されることも、後頭する人をみるのも不快だ。
他者に頭を下げさせて、それで己の地位を確認できないもののことなど私は知らない。
それよりも人に頭を下げて壊れていくものの方が問題だと、私は思う。

人はね、景麒。真実、相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときには自然に頭が下がるものだ。
他者に対しては礼を持って接する。
そんなことは当たり前のことだし、
するもしないもその人の品性の問題で、それ以上のことではないだろうと私はいっていのだ。

私は慶の民の誰もが王になってもらいたい。
地位でもって礼を強要し、他者を踏みにじることに慣れたものの末路は、昇紘(しょうこう)、呀峰(がほう)の例をみるまでもなく明らかだ。
そしてまた、踏みにじられるものを受け入れた人々がたどる道も。
人は誰の奴隷でもない。
そんなことのために生まれるんじゃない。
他者に虐げられても屈することない心、
最悪におそわれてもくじけることない心、
不正があれば正すことを恐れず、
獣に媚びず、
私は慶の民にそんな不羈の民になってほしい。
己という領土を納める唯一無二の君主に。
そのためにまず、他者の前で毅然と頭を上げることから初めてほしい。


私はこれを読んだ皆さんに言いたい。
他者に謝れと言わないでほしい。
他者にすぐ、すみませんを言わないでほしい。
謝っている人を見たら当然と思わないでほしい。
先ほどの文言にもあったように真実他者への畏敬の念があれば
きっとどんな状況でも自然と頭が下がるものです。
強制的に行われるものだはないんです。
だから謝罪という行為は今の日本では間違っているのではないか。
私はそう思うんです。
それがかりそめであっても、
上辺の行為であったとしても、
いわないこと、しないことを心がけることで
この世の中は少しだけいい気持ちにさせてくれる世界になると思う。
私はそう信じています。


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